先週末、足首の骨を折ってしまった。
幸い細い骨だったからギブスするほど大げさではないにしろ、痛い。
ちょっと外出。といつものようにはいかない。思いの他、普段歩いていたのだと気付かされる。
母は3年前に転んで腰を強打。その時の数週間動けなくなった。
今では歩けるけど、この間の夏休みに会った時、あの腰や膝の痛がり方を見てびっくりした。
だって、寝起きは痛くて歩けないから赤ちゃんのようにはいはいしてトイレに行くのだから。
その姿は、子供として見て、とても悲しかった。
ばーば達、じーじ達は足腰が弱る。
年のせい。仕方ない、痛くてな。早く歩けないんじゃよ。
湿布臭かろうとかまわんじゃろ。自分の痛いのには負けられん。
いつからだろうか。
母から化粧の匂いより湿布の匂いが漂うようになったのは。。。
今、上手に歩けないから、信号が点滅していても走れない。だから、次まで待つ。
信号が早く変わる横断歩道だって焦らない。だって歩けないんだもの。
『痛み』というものは人を憂鬱にさせる。だけど、上手に付き合うしかないね。
うまく歩けないようになってみて、初めて気付く。
世の中はノーマル人間に合わせて作られている、という事に。
駅のホームへ行くエレベーターの遠い事と言ったら・・・ため息が出るよ。
それに、どこもかしこも階段ばかりだし、ちょっとの段差の多い事。
危険だね。だって、転びそうになるんだよ!
今、階段を下りるには手すりにつかまる。
母が歩く時に私の手につかまるようにして歩く。
私の痛みはいつか治る。
でもばーばの痛みは治らない。
骨折して人の痛みが少しは理解出来るようになった。その気付きと学びに感謝する。
のんびりしか歩けないばーばを優しい目で見れる。
長い人生、いろんな出来事を過ごして来て、さらに長い間痛みと付き合っている人たち。
すごい精神力だと思う。本当によく頑張ってるね。ばーば、ありがとう。
2008年8月27日水曜日
LOVE...
LOVE...のパスワード。
今、あなたは持っている?
SEX AND THE CITY・・・観て来ました!!
素直な感想。。。 すごい良かった!
キャリー・サマンサ・ミランダ・シャーロット。
四人の女性の中に自分を見る。
会話の中に気持ちにそれぞれのシチュエーションに自分を投影してしまう。
友達って良いものね。私もずっと支えてくれてる友達のことを思いだした。嬉しい気持ちになって。悪くないな、そんな風に思えたし、ニューヨークと東京と空気感がそれほど変わらない都会で暮らす私たちには共感するものも多かった。
やっぱり帰り道にはVOGUEを買ってしまいました。だって美しいのだ。サラ・ジェシカパーカー。
とても子供がいるとは思えない!!!!マーケティング部門の思う壺でも良いのです。
やっぱり見たくなったのVOGUEが。。。
土曜日に大好きなミュールを履いて外出。
地下にあるカフェ行こうとしたら、階段の途中でヒールが階段に引っかかり、足首を大きくねじり・・・
そうしたら小さな骨を骨折していました。。。
それだけじゃないけど、なんだか 落ちていたのです。
くさくさする、なんとも言えない気分を変えたくて用事ついでに出掛けた今日。
水曜レディースデーだし、気分を変えたくて観てみた。
わたしも近い将来迎える50歳。サマンサのように素敵な50歳になりたい、と思う。
映画に出てきたあのマノロ・ブラニクの青い靴。あの靴は素敵だった。
あの華奢なヒール。美しい靴は女性を虜にしてやまないね。
骨折したけど、やっぱり女らしい靴は履き続けたい。永遠のテーマだわ。
昔は買えたかもしれないけど、今じゃマノロ・ブラニクの靴は高くて買えないよ。
でもね、レーベル(ブランド)じゃないんだ。その人そのものが大切って事。
そんな事がきちんと伝わってきたSEX AND THE CITY。
積み重ねていく人生は年齢だけじゃない、着ているレーベルじゃない。
その人のものもが素敵かどうかってこと。
人生はおとぎ話じゃない、だから友達が必要!
Cheers!Us!
2008年8月26日火曜日
終わりじゃない
北京オリンピックの閉会式、すっごく綺麗でした。
今年は夏休みの間、伊豆川津にある叔母の家に行っていて、ずっと朝から晩までオリンピック三昧。
普段、テレビはあまり見ないのだけど、オリンピックのおかげでNHK朝の連続テレビ小説『瞳』を見るようになりました。毎日見てると結構はまりますね。主役の榮倉奈々ちゃんも可愛いし♪
http://www3.nhk.or.jp/asadora/
メダルの数は中国が一番でアメリカを抜いたそうですが、日本はメダルの数は参加国の中で8位だとか。こんなに小さな島国でも8位なんて、すごいな、とそれだけで感動。
ニュースでは金か銀か、そういう「結果」ばかり目がいくけれど、オリンピックに出る、これだけでもすごい!!事。ずっとずっと努力を続けて来たのにケガによって出場できなくなってしまった選手を思うと、大変な事だと思います。
ママでも金、と意地を見せた柔ちゃんこと谷選手。
負けたけどいっぱいつかんだものがある、精神的にも強くなったという福原愛選手。
ずっとオリンピックに出場し続けている2人の顔は前回よりも、凛々しくなってどこか突き抜けた感じがする。その姿が素敵。
オリンピックは終わっても、選手達に終わりはなく、これからも自分との戦いが続く。
あきらめず努力を続けてきた選手達の姿は人々に感動を与えるのでしょう。
私も夢をあきらめず、チャレンジし続けていきたいと、オリンピック選手達を見てパワーをもらいました。
今年は夏休みの間、伊豆川津にある叔母の家に行っていて、ずっと朝から晩までオリンピック三昧。
普段、テレビはあまり見ないのだけど、オリンピックのおかげでNHK朝の連続テレビ小説『瞳』を見るようになりました。毎日見てると結構はまりますね。主役の榮倉奈々ちゃんも可愛いし♪
http://www3.nhk.or.jp/asadora/
メダルの数は中国が一番でアメリカを抜いたそうですが、日本はメダルの数は参加国の中で8位だとか。こんなに小さな島国でも8位なんて、すごいな、とそれだけで感動。
ニュースでは金か銀か、そういう「結果」ばかり目がいくけれど、オリンピックに出る、これだけでもすごい!!事。ずっとずっと努力を続けて来たのにケガによって出場できなくなってしまった選手を思うと、大変な事だと思います。
ママでも金、と意地を見せた柔ちゃんこと谷選手。
負けたけどいっぱいつかんだものがある、精神的にも強くなったという福原愛選手。
ずっとオリンピックに出場し続けている2人の顔は前回よりも、凛々しくなってどこか突き抜けた感じがする。その姿が素敵。
オリンピックは終わっても、選手達に終わりはなく、これからも自分との戦いが続く。
あきらめず努力を続けてきた選手達の姿は人々に感動を与えるのでしょう。
私も夢をあきらめず、チャレンジし続けていきたいと、オリンピック選手達を見てパワーをもらいました。
2008年8月7日木曜日
先生はいじわるなのか
先週起きた元担任教師への恨みによる卒業生の殺人未遂事件。
昨日は小学校の先生が給食のカレーを残した女生徒をたたくなどの体罰を加え、精神的ショックにより女児は不登校になったという。
先生はいじわるなのか、ほんとうの心の中はどうなのか。考えさせられる。
もう誰の本に書かれていたのか、コラムだったのかさえ忘れてしまったが、思い出した話を書いておきたい、そう思った。
小学校の時、大嫌いな先生がいた。
どもりで少し知恵遅れなA君をいつもみんなの前で厳しくしていたからだ。
国語の時間など、いつも先生はA君を指して文章を読ませた。あまりうまく話せないA君が一生懸命読むと、みんなが笑ってとても嫌な気分になって、ワザとやっているように感じて、そんないじわるな先生が大嫌いだった。
ある日、先生が隣町の学校に転勤になることになった。
過疎の進むその街の小さな小学校の教頭先生になるという。
全校生徒が集まって、先生を見送る式が行われた。
式の間、先生はただ、だまって立っているだけだった。
その時、いきなりA君が立ち上がって話し始めた。
「先生。先生、いつもたくさんのことを教えてくれてありがとうございました。話し方が上手でない僕が人前で話せるようになったのも、先生のおかげです。僕は絵を描くことが大好きです。そんな僕に先生はいろんな絵の具を使って絵を描くことを教えてくれました。僕は先生が大好きです」
この時、先生を見ると、それまでただだまって立っているだけだったのに、肩を大きく揺らし今にも嗚咽が聞こえてきそうなほど、その姿は、声はなくても泣きじゃくって、ぐしゃぐしゃになっている先生を見て、僕はびっくりした。
僕は思った。
大嫌いだった先生とA君との絆。
いじわるだと決め付けていた僕。
あれから何十年か経ち、A君は画家として活躍している。
私もかつては「先生」と呼ばれていた。
たくさんの土地、国で人に教えることをしてきた。
人を教育することは生易しいものではなく、求めるところの半分まで来てくれたらそれだけでも御の字と言える。
人を教えることに慣れていない頃には、たくさんの恨み、反感もかったことだろう。申し訳なく思う。
人に教えることで、自分が教えられている。
事件を考えると、先生の厳しさの中に愛情があったのか。感謝できる心が生徒にあったのか。
絆は築けていたのか。
私が会社を辞める時。
部下が言ってくれたありがたい言葉は今でも私の糧である。
「大丈夫ですよ。僕達はハルチルドレンですから」
(※本当はハルではなく、苗字で。小泉政権の頃で小泉チルドレンという言葉があった)
昨日は小学校の先生が給食のカレーを残した女生徒をたたくなどの体罰を加え、精神的ショックにより女児は不登校になったという。
先生はいじわるなのか、ほんとうの心の中はどうなのか。考えさせられる。
もう誰の本に書かれていたのか、コラムだったのかさえ忘れてしまったが、思い出した話を書いておきたい、そう思った。
小学校の時、大嫌いな先生がいた。
どもりで少し知恵遅れなA君をいつもみんなの前で厳しくしていたからだ。
国語の時間など、いつも先生はA君を指して文章を読ませた。あまりうまく話せないA君が一生懸命読むと、みんなが笑ってとても嫌な気分になって、ワザとやっているように感じて、そんないじわるな先生が大嫌いだった。
ある日、先生が隣町の学校に転勤になることになった。
過疎の進むその街の小さな小学校の教頭先生になるという。
全校生徒が集まって、先生を見送る式が行われた。
式の間、先生はただ、だまって立っているだけだった。
その時、いきなりA君が立ち上がって話し始めた。
「先生。先生、いつもたくさんのことを教えてくれてありがとうございました。話し方が上手でない僕が人前で話せるようになったのも、先生のおかげです。僕は絵を描くことが大好きです。そんな僕に先生はいろんな絵の具を使って絵を描くことを教えてくれました。僕は先生が大好きです」
この時、先生を見ると、それまでただだまって立っているだけだったのに、肩を大きく揺らし今にも嗚咽が聞こえてきそうなほど、その姿は、声はなくても泣きじゃくって、ぐしゃぐしゃになっている先生を見て、僕はびっくりした。
僕は思った。
大嫌いだった先生とA君との絆。
いじわるだと決め付けていた僕。
あれから何十年か経ち、A君は画家として活躍している。
私もかつては「先生」と呼ばれていた。
たくさんの土地、国で人に教えることをしてきた。
人を教育することは生易しいものではなく、求めるところの半分まで来てくれたらそれだけでも御の字と言える。
人を教えることに慣れていない頃には、たくさんの恨み、反感もかったことだろう。申し訳なく思う。
人に教えることで、自分が教えられている。
事件を考えると、先生の厳しさの中に愛情があったのか。感謝できる心が生徒にあったのか。
絆は築けていたのか。
私が会社を辞める時。
部下が言ってくれたありがたい言葉は今でも私の糧である。
「大丈夫ですよ。僕達はハルチルドレンですから」
(※本当はハルではなく、苗字で。小泉政権の頃で小泉チルドレンという言葉があった)
2008年8月1日金曜日
やっぱり情熱的な女性に惹かれます
このところ沢山本を買った。すぐ読みたいし、ざっと流して読んで違うの読んで、というのでずっと出しっぱなし。それに加えて、不要な本を整理しようと出した本や週刊誌が積み上げられたままだった。いい加減片付けよう。という気になったのだが、すぐに2年前のNewsweekに読みふけってしまった。
- 『世界が尊敬する日本人』2006・10・18号
これはページのコピー。知ってもらいたいという私の想いから載せておく。
アラビア半島のオマーンで幼稚園児から高校生まで500人が学ぶ私立学校を経営しているスワーダさん。日本文化を紹介する使節団に参加し、オマーンを訪れてからは現地の婦人会に招かれ渡航を重ね、その後、子連れでオマーン人男性と再婚。
日本で良質の教育を受けてきた自分に出来るのは教育、とチャレンジ。10年後に私立学校を設立したそうである。初年度に集まったのは幼稚園児5名だけ。それが今では12億円の新校舎を建てるまでに成長し、ここの生徒は大半が外国の大学に進学するという。
「出来ることから一歩ずつ始めれば、開かない扉はない。チャレンジし続けることが、魅力的な人間でいる秘訣」
とは情熱と行動力を持ってチャレンジを続けてきたスワーダさんだからこそ、心に響く言葉。
熱い情熱。
揺るぎない信念と優しさ。
どこか肝の据わった力強さ。
尊敬するオキーフもマザーテレサも、そしてスワーダさんも似ているところがある。
それは情熱と行動力。私も負けずに頑張ろう!素敵な女性にリスペクトしてやまない。
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