4月に入った。
いよいよ
パラカップ10キロマラソンは今度の日曜開催、ということで、10キロ完走に不安を感じ近所を走り始めて1週間。
なんとなーく、身体が軽くなってきた気がする。
パラカップは完走できなくても参加費が被災地に寄付されるのでボランティアに参加したと思えば良いし。
何と言っても、このところは朝の太陽が気持ち良い。
それだけでも元気に一日が始められる。
うちの近くの公園は、朝6時だというのに犬を散歩させてる人、ランニング、ウォーキング、とかなり人が多くて始めはびっくりした。
それまでは芝公園のラジオ体操に参加していたわけだけど、ここのラジオ体操参加者はその3倍ともなろうか。。
じいちゃんばあちゃんと一緒に、元気に毎朝ラジオ体操をする、というのは地元愛着感も増し、さらに健康的で良いものである。
新しい土地に来て半年。
この間に会社からリストラされ、人を信じられなくなって、母の介護にも慣れないし精神的にもかなり疲れた。
特に認知症の症状。
それと、就職難が追い風となって、さらに落ち込んだ。
お金を盗んだ、と言われるたびに、
悲しくて、受け入れられなくて、
一日中お酒を呑んだり、泣いたり、していた。
だけど、今はもう違う。
多分、世の中にはもっと壮絶な介護をされている人がいるはずで、
わたしの場合はまだ軽いと思うけど、ただ、親の老いていく姿を見るのは誰しも辛いものだと思う。
わたしもどうしたら受け入れられるか思い悩んで、いろんな本を読んだりしたけど。
多分、それを越えられたのは自分の「心」を変えたから、だと思う。
とにかく、いろんなこと、全部抜きにして、
今起きている事をすべて受け入れる。
そして、感謝する。
このことを心に留めて生活していくうちに、
辛いことが 辛い、と思わなくなって、
自然と受け入れらるようになっていった。
「心はつねに水のようになんのこだわりもなく、
せいせいと流れていなくてはいけない。」
ふと目にしたこの言葉
川の流れのように 移り変わる人生の出来事も
ありがたいことと受け入れる生き方を教えられたように思う。
陽射しが温かい今日は一気に桜の蕾も膨らみそう。
来週のパラカップは花見をしながらのラン、となりそうだ。
池上本門寺 山主の話4月より
心はつねに水のようになんのこだわりもなく、
せいせと流れてなくてはいなくてはいけない。
素直で、自由で、おおらかで明るく、
そして、くだらないことに、くよくよとこだわらない心を、
仏教では「柔軟心」とよんでいる。
くだらぬことにこだわって、氷のようにコチコチに
かたまってしまったのでは、手も顔も洗えない。
柔軟心はとらわれない心、人間の臍である。