2009年7月27日月曜日

トマトの赤ちゃん

だいぶトマトが出来て来ました^^越して来て、野菜を作ろうか、ということでトマト・ししとう・ピーマンを植えてから、1か月と少し。たわわについてますよ☆トマト☆朝日を浴びてきれいですよね。
鳥に食べられたししとうも、もう食べごろ。さっと炒めて食べたいな。

金曜は六本木ミッドタウンのBillbordへライブを見に行き、夜遊び仲間と久しぶりに会い、土曜日は別のお友達とランチ♪どっちの仲間も久しぶりに会ったわけなんだけど、私を見て「あれ?なんか、すっきりしてない?お風呂入った?」と言われ、もう一人の友達からは、なんか、ハルの笑顔は優しい顔になってきているね。と。そんなことを言われました。
すべてを受け入れているハルには、神様が必ずご褒美をくれるよ。ってメールがあって、なんか、やっぱり、昔からの仲間っていいな、とそう、思いました。ありがとう。

すっきりした顔っていうのは、たぶん、地で採れたものを食べ、空気も良いところにいるからでしょうか。
自然と変わっていってるのかもしれません。はい^^

畑で採れた野菜たちをいつも持ってきてくれる母のお友達が数人いるので、キューリを冷やして味噌を付けて食べたり、なすを炒めたり、と、おいしいんです。スーパーで売ってるお魚だってすっごく安くて美味しいし^^そんな感じで、ますます、大好きだったクラブもたばこ臭くて耐えられなくなってきました;音に浸るのはいいんだけどな~。アメリカみたいに禁煙にならないかな。。とひとり勝手に考えてしまうのでした。

黄色い花とトマトの赤ちゃん☆
こういうのを見るとお花が実になっていくんだとわかります。ありがたくいただきます。という気持ちになってきます。

2009年7月24日金曜日

うれし涙の日

今朝、雪のイスキアの代表である畑野さんに電話をかけました。
9月5・6日に行われる「佐藤初女さんと一緒にin支笏湖」を予約し、払込も済み、Airチケットを予約しようかと一緒に出かける友人とメールのやり取りをしていた昨日。そういえば、払込用紙はどうしたかな?と何の気なしに探してみると、見つからない。

きっと、どこかに入ってしまっていると思うのだけど、その用紙がチケットとなると書かれていたので、主催の畑野さんに確認をしてみたのが、理由です。

とっても優しい方でした。
振込用紙を失くしたんですが、大丈夫ですか?と聞くと、私の名前を聞いて、大丈夫ですよ。とおっしゃった。さらに、先日、初女先生とお会いしたので、私のことを話しましたら、会うのをとても楽しみにしてました。と言う。
先月、千葉で行われたガイアシンフォニー第二番に来て下さって、支笏湖にも来て下さると伝えてくれたようなのです。もちろん、一緒に行く、友人のことも一緒ですよね。とまで、言ってくださった。

先日の上映会では、特に名前を書いた覚えはないのだけれど。。。
誘ってくれた友人が私の名前をどこかに書いたのかもしれない。
けれども、そんなことよりも、何より、その温かさが骨身にしみました。

最近、アメリカからの商品買い付け、お店の事。いろいろと物事が進まなくてどうしてなんだろう。
と考えていたのでした。

そうです。
前回のメルマガでも書いているにも関わらず、自分のこととなると、答えを、結果をすぐに求めてしまう悪い癖。
姉の死からまだ半年も経たないこと。東京という街、友人、仲間と離れ、実家で暮らすこと。
そうした激変があるのに、あえて、忙しくしてしまう。私の貧乏性。

父の死の時も同じことをしていた。
そして、体を壊して、会社を休んだりしても良くならなかった時期があったことを思い出した。

急がなくていいのよ。

そんなふうに 初女さんが言ってくれたような気がして、 電話を切った後 泣けてきました。

これで良いんだ。って思いました。

偶然はなく。すべては 必然。
初女さんのおむすびを一緒に握る日。
私はうれしくて、きっと、温かくて気持ち良い涙を流すと思う。

ありのまま。そのままでいいのよ。と 言ってくれているのですね。

2009年7月19日日曜日

イルカを見ていた午後

先日、中古車屋さんに行って試乗して来ました!
と、言うのも、ここは山の中の分譲地なのでどこに行くにもお迎えに来てもらわないと帰れないのです…
母と出かける時間が同じだと大変だし。夜、お迎えに来てもらうには暗い夜道を運転させるのもあぶないので、早いところ車を買わないと!というわけです。
生まれて初めて車を持つので、何がどうなんだか、さ~っぱりわからないんですが、知り合いの人に中古車屋さんを紹介してもらったので、そちらでお世話になろうかと思います。

その帰り。暑くて、海が見たくなって、イルカちゃんに会いに行きました☆
伊東港にはイルカが3頭います。

「イルカちゃ~ん!」と呼んだら顔を出してくれたよ

ずっと見ていてくれるから、体が斜めになっちゃったりして、あれれ?おかしな格好になっています。

私の好きなドライブコース☆いったん車を降りて 海を見てみた
伊東港~潮吹き~川奈イルカ浜まで 木がトンネルみたいその木漏れ日と海の色を見ながら 気持ちいい風に吹かれて右へ 左へ

テトラで海を見ながらごろ寝 カニさんもテトラを散歩中 

自衛隊らしき大きな船 近くを通る船が作る長い長い 波
昔サーフィン映画で大きなタンカーが作る波でずっとサーフィンをしているところがあったなぁ。などと思いだしつつ まったり 
房総半島までうっすら霞んで 夏の海です

2009年7月15日水曜日

梅雨明けて 雑草に想う

夏本番!という感じ。山の緑も、空の色も、キレイです。
朝は6時くらいから「私、太陽!」と強い陽射しとともに太陽が主張してきますから、もう、眩しくて自然と起きてしまいます。なので、夜も夜で11時くらいになると眠たくて、起きていられません。

そういうわけで、今までの勝手気ままに夜中に起きて仕事したり、お風呂入ったり、とか、そういう時間の過ごし方ではなくて、いわゆる、普通の暮らしを始めていて、都会暮らしが染みついているのでなんだか変な感じもしますが、少しずつ地に慣れていきたいですね。

最近、近所の雑草を積んで活けています。
私はツユクサ、夏花火が表情豊かで可愛くて好き。つるの雑草も小さな花を咲かせてキレイです。

でも、刈っても刈っても、すぐにうっそうと生えてくるんですよね。強いんです。
その姿を見ていると、人が生きていく時に厳しい環境でも、たくましい力で根を伸ばし、葉を茂らせ花を咲かせていく強さ、たくましさが必要だな、と学べます。

越してきた頃にはあまり上手に鳴けなかったウグイス。最近はとっても上手になってきました。
実りの秋に向けて、みな一生懸命成長しています。瞳を閉じて 荒井由美

2009年7月12日日曜日

光の中を散歩する

今日は暑かったですね~。九州地方では梅雨明けしたとか。夏本番を思わせる陽射しの午後、観光気分で街を歩いてみました。
伊東有形文化財に認定されている昔の旅館東海館は昭和初期の三階建て木造建築。精霊流しや海開きの時期にタライ乗り競争が行われる松川沿いに建っています。
お部屋の縁側から川のせせらぎを聞いていると、実に気持ちいい風☆
お部屋の障子や飾り窓も素敵なのですが、階段脇の梁に白樺が使われていたり、照明器具などもとっても素敵です!二階は芸者さんたちのお稽古場になっているようで、三味線の音がしていました。
思えば、小さい頃。幼馴染の家の向かいが芸者の置屋で、いつも外で遊んでいると三味線の音がしていたのを懐かしく思い出しました。

今、松川沿いはきれいに舗装され散歩道になっているので、海からずっと歩いてみました。
ここには私の通った幼稚園もあって、これもまた懐かしい。
父が近くの病院に入院していた時もよく散歩に来ていて、今では父も姉も光の人となったことを想うと、月日の経つ速さを思いますね。子供のころを想い出すと、ちょっぴり、やっぱり、泣けてきます。

温泉が湧き出ているのか、近くのホテルの下水が暖かいからなのか。泳いでる鯉が「デカイ!」本当にびっくりするくらいデカイです。これ、伊東の自慢にならないかしらね?笑。
さすがとデカイ鯉も写真には写りませんでした。。。残念。

歩道を守るように生えた木。
見上げたら苔むしてたくさん小さな葉っぱがからんで、枝と葉のすき間から太陽が覗いていた。

右手は川。
光を受けて、木立の葉が歩道に影を落として、自然の模様を創り出す。午後。

急がずにときには、のんびり、ゆっくり

世の中全体がせわしなくなって結果や答えをすぐに求めたがり、なかなか「見守る」ことが出来なくなっているのかもしれません。

急がず、ゆっくりと、お互いを「見守る」ことができたら、
もっと生きやすい世の中になりそうです。(昨日配信のメルマガ【reset通信】より)

2009年7月11日土曜日

よく聞こえる


昨日は伊東囃子という昭和47年から続く太鼓の会の練習にお邪魔させていただきました。

伊東に越して来てからもほぼ毎週、ゴスペルや付き合いで東京に出かけることが多い私を見かねた家族が、
「あなたも越してきたんだから、こっちで何かを探してみたらどうなの?」ということで、伊東には太鼓もあるよ、と聞き、太鼓には興味があったので知り合いの人に見学希望を出しておいたのです。

夕べは子供たちの練習のみ見学させていただき、そのあと、ほんのちょっとだけばちを使って、叩かせていただいたのですが・・・見るのと(見ていても難しいだろうなと思っていましたが)実際にやってみるのとでは大違い!太鼓と体を離さないとかっこ悪いんだそうで、かなり離れて叩きます。手が下がってしまうと太鼓の外枠に当たって「カツン」という程度にしか音が出ません。手首のひねりとか。腕の筋肉とか。いやいや。全身を使って太鼓を叩くのですね。あんなに響く音はたくさん、たくさん練習しないと出せないのだとわかりました。


指導している人は
「そこの4番のところ、テケテケドンドンの ドンドン をメリハリつけて」とか
「さっきのテケテケと テンテケ は違うから」と言っていたんですが。。

テケテケ と  テンテケ??どう違うんだろう??と思って

よ~く聞いていると だんだんと全然違うのがわかってきました。

毎週練習しているから わかって当然かもしれないけれど。その微妙なリズムや音の違いがわかる子供たちの耳って素晴らしい!!と思いましたね。「やー!」とか「さー!」とかの掛け声と叩きつつ、時折両手を水平にするポーズも決めたりして、カッコいいんです!


全員で一つのハーモニーを創り出す、という点ではゴスペルも同じです。
でも、違うのは、その真摯な姿勢でしょうか。というのも、ゴスペルは個人の趣味的な感覚で来る方もいるので、発声練習に遅れてきたり、数曲歌ってから駆け込んでくる人もいたりして。もう、それは、ハーモニーが揃う以前の問題として、楽しきゃいいじゃん。みたいなのがありますが、昨日の子どもたちはそうじゃないんですね。その一つの音の担当としての責任感、気迫、そんな強いものも感じたのは、練習半ばの休憩で見た、その汗。腕の筋肉。

一秒も音が乱れることなく、叩かなければ音は響かないのです。そこがすごいな。と思いましたね。

何かに打ち込んでいる姿 というのは 人を感動させます。

インディアンの世界でも「インディアンドラム」という太鼓のような もっと大きくて浅い太鼓を ネイティブ言語で歌ったりする儀式があります。横笛も一緒に吹く日本ならではの太鼓のリズムがあるけれど。。。

インディアンドラム。そして、太鼓というのは、その、なんと言いますか、魂に直接訴えかけてくる「音」なんですね。全身に『びんびん』と響いてきて。感動します。

伊東囃子は今度、重度障害者センターで太鼓を演奏するそうです。
こうしたボランティア活動はしていきたいな、と考えています。地元でのそうした活動の勉強としても良い経験でありました。重度センターの方たちに「音」でびっくりさせましょう。と指導の方が言っておられましたが、きっと楽しい時間を共有出来るのではないでしょうか。

私も病気の大人や子供、老人ホームにいる方などに愛を届ける働きをしていきたいな。
少しずつ形になっていけるように「動」をしていこう。
そう思ったのは、子どもたちからパワーをもらったからなのでした。

2009年7月5日日曜日

イライラしない

世知辛い世の中です…

ホームで喧嘩したサラリーマン2人とも線路に落ちて亡くなったという嫌なニュース…
同級生を刺し、死亡させた高校生…

経済大国である日本が持っている貧困。
それは心の貧しさだと来日したマザー・テレサは指摘したという。

この間いやなことがありました。
電車を降りて、だいたいみな同じ方向に歩いて途中のコンビニに寄るので、一斉に空いていたお店のレジは混みだしました。当然です。
私の前に女子高生(一人目)。私。後ろはスーツを着たサラリーマンでした。

その彼は、今にも私にくっつきそうなくらいに、急いでいるふうでいきなり
「なんや!レジは一人しかおらんのかいな!」と大きな声で独り言。
私はコンビニ支払いをしたかったので、いくつかの商品と支払いの用紙を出したところ、
「ちぇっ!ま~た、時間のかかる!」と、ビールか缶ジュースか私の肩に当たるくらいに突き出しているのです。

この追い立てられるような感覚。

すっごく嫌でした。後ろを見てやりましたけど、全然、気にしているふうでもなく。
それが、もっと、もっと、嫌でした。

そこで、ちょっと急いで、なんになるんだろうね。

「忙」とは、心を忘れる。と書くんですね。
「いそがしい」「いそがしい!」を口癖のように連発してい人がいます。そう言っていないと不安みたいです。

かつての私も心を忘れていました。
いつも他人を否定から入り、いつでも、「でも」「それは」などと、言い負かしてやろう、というところがありました。それは、お父さんくらいの年齢の人と一緒に肩を並べて仕事をして、100人からのたくさんの部下を抱え、いろんな問題を聴き、まとめていかなくてはならない神経すり減らす毎日だったからでしょう。そうしないと生きていけませんでしたから、がりがりに痩せて、たくさんお酒を飲んだり、煙草を吸ったりしていました。

人間って、生きていくのに、どこにフォーカスを当てるか、だと思いますね。
仕事をバリバリしていくのはいいもんです!大好きです!
でも、それはカラカラに乾いていく生き方を奨励するものじゃないはず。

ストレス。みんなストレス抱えますね。いろんな人がいますからね。
いろんな人の中に、自分を見る。そんな見方もありますよ。
世知辛い世の中だけど、イライラしないで明るく生きたいね。

明かりとは、暗闇の中に入らないと明かりを知ることはできないのです☆
七夕はライトダウンで心静かに。
日ごろの明かりがある暮らしに感謝して、地球温暖化防止を考えてみましょう!

電気のない暮らしをしている人たちは何億人もいるのですから。

2009年7月1日水曜日

7月 初女さんとマザーに想うこと

7月になりました。
今朝、とても早く目覚めて、外を見るとあたり一面真っ白の霧に包まれて、とても幻想的でした。

夕べ、バナナケーキを焼きました。
眠るときにはまだ熱かったので、ホイルをかけておいたのが気になったのか、不思議な夢を見て、目が覚めたのは3時半。まるで、漬物に呼ばれるみたいだと、夜中に起きては漬物に手を入れるんです。と言っていた『佐藤初女さん』のようだなぁ。なんて。おこがましくも思ってしまったのは、先週の土曜日「映画 地球交響曲ガイアシンフォニー第二番」を観てきたからです。

佐藤初女さんは青森県弘前市の岩木山の麓で「森のイスキア」を主催しています。友人のMちゃんが初女さんの著書おむすびの祈り「森のイスキア」集英社文庫を読んでいた時、私のことが頭に浮かんだんだ。とこの間教えてくれた。その頃、姉の死で悲しみに打ちひしがれていたから、いつか一緒に森のイスキアに行きたいな、と思ってくれたみたい。そんなときに、「地球交響曲ガイアシンフォニー第二番」の上映があることを目にして、誘ってくれた。

初女さんは、特別な能力も経済力もない自分に、何ができるか?と考えながら歩いていた時、「私には心がある。心だったら汲めども汲めども無尽蔵にある」と突然ひらめき、傷つき、疲れ果てた人を受け入れ、そして、その人のありのままを受け入れ、その時の恵みで料理を作り、ただ話を聴く。それだけで多くの人が癒され立ち直っている。映画撮影の頃の1994年には実に700人もの方が初女さんのおもてなし、温かな愛情あふれるおむすびによって、癒されているのです。

先日の映画の後、初女さんの講演もありましたが、80歳を超えてなお、お元気。
初女さんの言葉で心に残っているいくつかは、ご本人にお会いして一層胸に響いてきました。

人、一人一人の中に神様がいる。知らない人だから、怖いな、と思わないんです。
夜中でも誰かがいらしたら、「神様」だと思って、戸を開けるんです。

私は特別なことはしていません。普通のことをしているだけ。
自分じゃわからない。その当たり前のことに、人は感動してくださる。
それが本物じゃないか、と思うんです(ガイアシンフォニーより)

初女さんとマザー・テレサとが重なって見えたのは同じカソリック教徒だから、というだけではない。
そこには「奉仕」と「一致」そして「愛」
互いが愛し合うこと。奉仕の果実は平和である。

You did it to meあなたが私にしてくれた 
愛を持って 生きていこう 

9月 支笏湖で行われる初女さん講演会とおむすびを一緒に作るツアーに行ってきます
今朝の白い中で活けた花 ぐい飲みは父の手作り