2008年8月7日木曜日

先生はいじわるなのか

先週起きた元担任教師への恨みによる卒業生の殺人未遂事件。
昨日は小学校の先生が給食のカレーを残した女生徒をたたくなどの体罰を加え、精神的ショックにより女児は不登校になったという。
先生はいじわるなのか、ほんとうの心の中はどうなのか。考えさせられる。
もう誰の本に書かれていたのか、コラムだったのかさえ忘れてしまったが、思い出した話を書いておきたい、そう思った。


小学校の時、大嫌いな先生がいた。
どもりで少し知恵遅れなA君をいつもみんなの前で厳しくしていたからだ。
国語の時間など、いつも先生はA君を指して文章を読ませた。あまりうまく話せないA君が一生懸命読むと、みんなが笑ってとても嫌な気分になって、ワザとやっているように感じて、そんないじわるな先生が大嫌いだった。

ある日、先生が隣町の学校に転勤になることになった。
過疎の進むその街の小さな小学校の教頭先生になるという。
全校生徒が集まって、先生を見送る式が行われた。
式の間、先生はただ、だまって立っているだけだった。

その時、いきなりA君が立ち上がって話し始めた。
「先生。先生、いつもたくさんのことを教えてくれてありがとうございました。話し方が上手でない僕が人前で話せるようになったのも、先生のおかげです。僕は絵を描くことが大好きです。そんな僕に先生はいろんな絵の具を使って絵を描くことを教えてくれました。僕は先生が大好きです」

この時、先生を見ると、それまでただだまって立っているだけだったのに、肩を大きく揺らし今にも嗚咽が聞こえてきそうなほど、その姿は、声はなくても泣きじゃくって、ぐしゃぐしゃになっている先生を見て、僕はびっくりした。

僕は思った。
大嫌いだった先生とA君との絆。
いじわるだと決め付けていた僕。
あれから何十年か経ち、A君は画家として活躍している。


私もかつては「先生」と呼ばれていた。
たくさんの土地、国で人に教えることをしてきた。
人を教育することは生易しいものではなく、求めるところの半分まで来てくれたらそれだけでも御の字と言える。
人を教えることに慣れていない頃には、たくさんの恨み、反感もかったことだろう。申し訳なく思う。

人に教えることで、自分が教えられている。
事件を考えると、先生の厳しさの中に愛情があったのか。感謝できる心が生徒にあったのか。
絆は築けていたのか。

私が会社を辞める時。
部下が言ってくれたありがたい言葉は今でも私の糧である。
「大丈夫ですよ。僕達はハルチルドレンですから」

(※本当はハルではなく、苗字で。小泉政権の頃で小泉チルドレンという言葉があった)

0 件のコメント: