2009年11月18日水曜日

音訳士修了証

今日で音訳ボランティア養成講習会は修了
講習会を主催した市の福祉課から修了証が手渡されました。

でも、その後の活動目標や次の講習会はいつからか、とか、具体的なことが全く決まっていなくて、なんとなく、尻切れな感じは否めない。講座を受けた人の何人かは担当の福祉課の人に、この会をどう考えているか答えを明確にしてください。とか、気持ち詰め寄る雰囲気があったりして、なんとなく最後はみな、うつむき加減になっちゃった。

でも、また来週集まって録音図書を聴く、ということをやることに決まった。広報紙を読むとか、そんなところからやっていきましょう、のような流れになったけど、それよりも活動を続けていく。そのことの方が意義があるよね。

「こうして欲しい」「こんな本を音訳してください」

そんな要望が、今現状、ないわけだし。
今まで音訳士というボランティアの人の登録すらなかったわけだし。
初めての試みだから、どうしていいかわからない。というのが正直なところだと思う。

はっきり言って、今日は行くのどうしようかな。と迷った。
どうせこういう終わり方は想像できたし、貴重な時間を使うなら新商品Upしたいし。。。

それだけど、修了証が発行されて。
終わってみて。

母と同じか、もう少し年下の人たちと一緒に学んで感じたことは。
「学びに年齢は関係ない」ということ。

宿題もみなまじめにやってきていたし、目の見えない人たちの役に立ちたい、という意欲がすごいな、と思った。失礼だけど、自分ももうすぐ、ボランティアの人の手助けがいるのでは?と思われる方もいたけれど。そういう人の方が、真面目で、向学心も高く、また知識を深めようといろんなことを調べたりして見識も深くて「すごいな」と思った。

ボランティアって、やったことないから。
利他の精神。とかやれるところからやりましょう。なんてことが書かれていたけど。
音訳の勉強したから自分が読んで面白かった音訳図書を製作したい。では自己満足の世界の域を出ないわけだし。
音訳ボランティアとは、こもって録音して、図書館に置かれて、直接の反響を聞けないからやりがいがあまりない、と聞いた。

親切の押し売りほど、めんどくさいものはない。
ただ、姉の病がひどくなっていって、最期。声をかけながら体を拭いてくれていた看護師さんの優しさ。
あれは親切、というものではなく。心の底からの行動だと感じた。押し売りって、きっと、やってあげてる、上から目線が心のどこかにあるのかもしれなくて、それが出ちゃうのかもしれないな。

私の場合。見ず知らずの人よりも、つかず離れずで、家族に笑顔を。お客様へ愛を。基盤が大切です。
Cellioloに行く途中の雲 サンタフェはいつもいつも空と雲が綺麗

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