2008年9月15日月曜日

ワレモコウ:吾も紅

今日、お花屋さんの店先でワレモコウに声をかけられたので、トルコ桔梗と一緒に活けてみました。
この花は愛らしい。秋を感じさせる花です。

ワレモコウを見ていたら、昔に読んだ椎名誠さんの奥様、渡辺一枝さんのお花の写真とエッセイを載せた本に書かれていたお話を思い出し、改めて読んで、胸がキュンとすっぱくなった午後でした。
短く紹介します。


昔、おばあさんの時代だった頃。人里離れた農村に一人の娘がいました。

極貧の小作農に子沢山。両親の切ない願いを込めて娘は「とめ」と名づけられました。

 朝は早くから夜は一番星が出るまで野良仕事。雨の日も藁を編んだりして過ごします。ゆとりある暮らしなら夢もたくさん持てるそんな年頃を、とめは自分を育む夢も知らずに過ごしていました。
とめの日頃の願いは、おいしいものを食べることでさえもありませんでした。ただ身をゆっくりとのばして、目が開かなくなってしまうほど眠りこけてみたい、と思うだけでした。

 年に一度の秋祭り。そのときめきは、女の子なら誰もが持つような夢に気づくのでした。太鼓の音が聞こえる頃になると、いつもなんだかわからないけど去年とは違う自分に目を見張るのでした。
お金があったらあのおしんこ細工を買いたいと思った自分。大きくなったらおよねさんのように皆の衆の前で踊ってみたい、と思った自分。

 そして、その年。
太鼓の音が流れてきて、その晩とめは祭りに出掛けたのでした。
 輪になって豊年踊りを踊っているとき、とめはふと、同じ地主の下に働いている小作の若い衆と目があったのでした。なんだか胸が煮えたぎるような想いがして、輪から逃げ出したくなってしまったのです。社のケヤキの側からそっとのぞくと、耳のあたりがポッポとしてきて、わけもわからず恥ずかしくなったのでした。
 娘たちは貧しいとはいっても、赤いへこ帯くらいはつけていましたが、とめはおとっつあんの古くてボロボロになってしまった男帯しかつけられなかったのです。

 祭りは三日三晩続きます。
もう行くのはやめようと思っても、太鼓の音が聞こえてくると、あの胸の中が燃え立つような思いに戸惑うのでした。ケヤキのかげからそっとのぞくと、娘らが楽しげに踊っていて、とめの目には、娘らの上気した頬や一張羅の着物が、ちらちらと炎のように見えてくるのでした。そして、昨日の若い衆が見えたとき、追い立てられるような気がして、そこから逃げ出してしまったのでした。

 
 夕暮れの道を息せき切って走ってきて、ふと止めた足元に花が揺れていたのです。群れて揺れて咲いているそばにしゃがんで遠くの太鼓の音を聞いていたとき、ふと頭の上で声がしました。
「ほう、われもこう!」
その声がするまで、とめは歩いてくる人たちに気づきませんでした。

 通り過ぎたそのほうを見ると、五人ばかりの若い衆が連れ立っていくその後姿にあの若い衆を見つけたとき、とめの口をついて出たのは
「われもこう!」 とめのその声は、とめにも聞き取れないほどでした。

 われもこう-。
とめは、子供の頃、となりにすんでいたおばあさんです。
ワレモコウが吾亦紅と知ったのはずいぶん後のことですが、「吾も紅」のほうがずっとずっとこの花らしいと、今でもそう思っています。

 
敬老の日の今日。
どこかに普通に暮らす、おばあさんの初恋。
おばあちゃんの妹だった とめちゃん。2人とも死んでから何十年か経ってしまった。

おばあちゃん。とめちゃん。2人を思い出して胸がキュンとなって何故だか泣けてきました。

(自転車いっぱい花かごにして 著 渡辺一枝 情報センター出版局)

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