2008年9月16日火曜日

ゴスペルを歌う、という事

3連休が過ぎ、ビジネスアワーだと今日は月曜という事になる。
1週間のうち、一日祝日があると何となく得した気分^^。

密度の濃い土日を過ごしたからか、昨日はリハの予定があったのをすっかり忘れてしまっていた!!
うっかり、というか、すっかり頭の中から抜け落ちていた。

土曜日は久しぶりにGo out♪ 夕方から6日に行われたゴスペルライブの反省会をして、カラオケに♪
その後、友達と待ち合わせして青山の会員制クラブに行く。12時過ぎの青山骨董通りには歩く人もほとんどいない。でも、階段を下りてエントランスが開くと、そこには入りきれないほどの人がいた。

タバコの煙と大きな音と赤や青のライト。人のざわめき。外のひっそりした雰囲気と別世界がそこにはある。こんな時、『東京』って感じがして好きだ。初めて行ったけど、おしゃれな人が多かったしいろんな人と話が出来たし、良い店だった。

その後は場所を六本木に移しうろうろ。六本木の夜は本当にインターナショナル。白・黒・黄色いろんな肌の色をした人たちがぞろぞろ歩いている。言語は英語がほとんど。
ここは眠らない街。夜中になればなるほど、人が集まってくる不思議な街なのだ。
年齢も国もバラバラ。みんなニコニコ。
足の具合もあったけど、ずっと温室育ちだったから、こうしてたまには夜の街にも出て行かないとなんかダメだなと思った土曜日だった。

朝方帰宅し、数時間寝て福生へ。ゴスペル仲間に福生の黒人教会の礼拝に行こうと誘われていた。
ここは横田基地がある街。東京のはずれの小さな街にある黒人教会は、意外と敷居が低く、みなオープンハートで初めての私を温かくみなハグで迎えてくれた。牧師の説教もわかりやすい英語。
日曜の礼拝は自分をチェンジし、神と出会う、そうした信仰のスタイルは小さな子供でもきちんとスーツを着て来る。歌が始まれば自然とタンバリンを叩いてダンス。
こういうのを見ていると、日本人と音楽に対するスタイルも違って当然だと実感する。

ここにあるゴスペルというのは、単純に神への賛美。それ以外はない。

私はクリスチャンではないけど、教会を家、と考えるのに抵抗はない。

教室で習うそれは単純にゴスペルを歌としてとらえている人が多くなる。それは仕方無い事。
日本は仏教の国。ゴスペルを聴いてタンバリンを叩いたりした文化などなく、お坊さんのお経をじっと正座して聞く、これが日本スタイルであろう。

日曜礼拝の黒人教会スタイルを肌で実感したその夜、大きなゴスペルコンサートに行って思った事は、先生に教わる教室スタイルが日本では一般的だという事。だから、一語一語、間違わないようにゴスペルを歌う。
賛美する、歌詞の意味を理解して歌うというものが感じられなかったからこそ、日本人のゴスペルに対する一般的な意識を見た気がしたのだ。

昨日先生から「合同リハお疲れ様でした」のメールを見るまで気づかずにいたリハ。教室スタイルの昨日のリハは忘れてしまうほどのものなのか。それぞれのクワイアで携わっている度合いの違い。自分の中に占める割合を見せられた気がした。

ライブもそれぞれ責任者を立ててみんなで作り上げているもう1つのクワイア。
だから思い入れや仲間同士の結束が違って当たり前。うっかり忘れたりすることはなかろう。なぜなら、誰かしらから誘いの連絡があるし、今はそうしたリハ参加を周知する係りになっているからして、忘れるはずなどないのである。

昨日の先生は嫌いではない。ただの受身として参加するスタイルでは、自分の必要度合いが低いと感じられ寂しいというのもあるし、潜在意識では先生のいう通りに歌うスタイルに近いリハは面白味に欠けていると思っているのかもしれない。

もう1つのところはもっと歌の意味を理解して歌うように指導してくれる。そして、みんなで作り上げている結びつきの深さ。みんな仲間をリスペクトしている、そんなところが違っている。
今のところ、2つのスタイルのクワイアは続けていくつもり。
なぜなら、ゴスペルを歌う事が私の生活の一部になっているから。

0 件のコメント: